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初代カーライル伯爵チャールズ・ハワード(、1629年 - 1685年2月24日)は、イングランドの軍人、政治家、貴族。 ノーフォーク公爵ハワード家の分流。清教徒革命の際に議会軍の指揮官の一人だった。クロムウェルに忠実だったが、クロムウェルの死後は王党派に転じ、王政復古後の1661年にカーライル伯爵位を与えられた。 == 経歴 == 1629年に生まれる。父は第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワードの三男の孫にあたるサー・ウィリアム・ハワード。母はその妻メアリー(第4代ウィリアム・ユアーの娘)。 プロテスタントに改宗し、清教徒革命が発生すると議会軍の指揮官としてで戦功をあげた。 1653年のの際にから選出されて庶民院議員となる。同年、国務会議(Council of State)の委員に就任。翌1654年にはイングランド軍を率いてスコットランド軍と戦った。 1654年と1656年、1660年の議会でもから選出されて庶民院議員を務める〔〔。また1657年からは「ハワード子爵・卿(Lord Viscount Howard)」としての議員になっている〔〔。 護国卿オリヴァー・クロムウェルに側近として重用され、その親衛隊長や軍政監(Major-General)を務めた。しかしクロムウェルの死後には、他の軍高官と対立を深め、王政復古派に転じ、1659年中の一時期投獄された。 そのため1660年に王政復古があった後も国王チャールズ2世から重用された。1660年から1679年まで枢密顧問官を務め〔、1660年から1685年にかけてはと、またを務めた。1672年から1685年にかけてはダラム知事も兼務した〔〔。 1663年から1664年にかけてはロシアやデンマーク、スウェーデンへの特派大使を務め、1677年9月から1681年4月にかけてはジャマイカ総督(Governor of Jamaica)を務めた〔。 1685年2月24日に死去した〔。爵位は長男が継承した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「チャールズ・ハワード (初代カーライル伯爵)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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